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2015.04.23

青梅新町の大井戸

昨日に続き、今日も好天気になりそうである。1週間くらいは雨の降らない日々が続くようだ。

青梅市新町に大井戸公園と呼ばれる公園がある。この公園は、新町御岳神社の南側にあって、5月になると、この中にあるボタン園のボタンがきれいな花を咲かせて、多くの人が集まる人気の場所である。

この公園の一角に、東京都指定史跡の「青梅新町の大井戸」がある。(左の写真)
右の写真は、この大井戸の説明板なのだが、ずい分と古くなって、傷みが激しくて文字が読みづらい。この説明板の下に解説書を入れる箱が置いてあるのだが、中は空っぽだった。あまり管理されていない様子である。

という訳で、右の写真のオリジナルを拡大して何とか読んでみた。その結果を下に書き写しておくことにしよう。読み取りにくい個所があったので、文字が間違っていることもあるかも知れない。

 大井戸は、人が水口付近まで近づくための擂り鉢形の施設と水をくみ上げる筒井戸からなる漏斗状の形をしています。このような形の井戸は、羽村市のまいまいず井戸(都指定史跡)など、水の得にくい武蔵野台地等で構築されていますが、東西約22メートル、南北約33メートル、深さ7メートルの擂り鉢部と周囲の盛土からなる大井戸は、なかでも最大の規模をもつものです。
 この井戸が掘られた時期については、定かではありませんが、地表から筒井戸を構築する技術が一般化する以前の様式であると考えられます。また、武蔵野を走る「古青梅街道」と「今寺道(秩父道)」の二本の古道が交差する位置にあることから、おそらく江戸時代の開発以前から道行く人馬の水を供給する場所となっていたものと思われます。
 新町村の開発は、慶長16年( 1611)に下師岡村の土豪的農民吉野織部之助らによって始まりますが、この際、大井戸に大規模な改修が加えられ、塩野家井戸として使用されたことが、開村の様子を記した「仁君開村記」や発掘調査の結果から想定されます。さらに、筒井戸の底付近から出土した、明和7年(1770)の年号と「永代不絶泉」の墨書をもつ願文石から、その後も使用されていたことが明らかになりました。
このように大井戸は、中世後期から近世初期の武蔵野台地の開発に関する貴重な歴史的遺構で学術的な価値も高い史跡です。
 指定面積は2.12平方メートルです。

             平成10年3月30日     東京都教育委員会
                               青梅市教育委員会

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